中学生編:思春期に見えた新たな壁と向き合う日々

中学生編 療育

小学生のころは、できることが少しずつ増えてきた実感がありました。
しかし中学生になると、身体もぐんと成長する一方で、周りとの違いがよりはっきり見えてきました。
今回は、そんな思春期に感じた新たな壁と、親として向き合った日々を記録しておこうと思います。


制服と身の回りの課題

手先の不器用さは相変わらずで、制服のスカートのホックとファスナーを留めるのに時間がかかりました。
毎朝の準備がストレスにならないよう、スカートを総ゴム仕様に作り替えてもらい、リボンも形を整えたものをピンで留めるようにしました。

自分でできることが限られていても、少しの工夫で「自分もできた」という感覚を守ってあげることが大切だと感じます。
外見の整い方ひとつで、本人の自信にもつながるからです。


言葉が増えても伝わらないもどかしさ

会話の量は増えましたが、その多くは自分の興味のあることを一方的に話す内容でした。
嬉しそうに話す姿は微笑ましいのですが、相手の反応や話の流れにはあまり注意が向かず、コミュニケーションとしては噛み合わないことも多くありました。

「会話はキャッチボールだよ」と何度も伝えても、なかなか難しい。
それでも、「話したい気持ち」があること自体を大事にしたいと感じていました。
療育の視点では、“会話のターン交代”や“相手の気持ちを想像する練習”を少しずつ取り入れていく時期だったと思います。


感情の波とパニックの対応

中学では、集会で「部活動の結果が良くなかった」という話を聞いただけでパニックを起こしました。
本人は部活に所属していなかったのですが、突然大声で「部活なんてなくなればいい!」と言ってしまったのです。

また、家でニュースを見ていても、事故や事件など“怖い”と感じる内容になると、話の途中で「もうイヤ!」「そんなのなくなればいい!」と叫ぶことが増えました。
身体が大きくなった分、声も大きくなり…パニック時の声の大きさ、周囲への影響などを考えると気が重くなる日々でした。

そんな時は、
「怖い」「嫌だ」と感じるのはOK。
でも、「なくなればいい」は聞いた人が悲しくなる言葉だよ。
――そう伝え続けてきました。

理解して使い分けることは今も難しいですが、“感情を言葉にできた”こと自体を少しずつ認めていこうと思っています。


親としての葛藤と気持ちの整理

他の生徒の前での発言には、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
頑張っている子たちの前で否定的な言葉を口にしてしまったことを思うと、やるせなさでいっぱいでした。

体も声も大きくなり、成長とともに周囲との差は広がる一方。
「なぜうちの子だけ…」と落ち込む日もありました。
それでも、「この子はこの子のペースで成長している」と自分に言い聞かせながら、できる工夫を続けるしかありません。

大切なのは、親が折れないこと。
完璧な対応はできなくても、「一緒に考えてくれる人がいる」と思えることが、きっと子どもの安心につながると信じています。


今も続く“伝える力”の育み

中学生のころに見られた特徴や行動は、今も形を変えて続いています。
けれども、「ダメ」だけで終わらせず、「どう言い換えるか」を一緒に考えること。
それが我が家の小さな“療育”の積み重ねです。

この先も、言葉と気持ちの距離を少しずつ近づけていけたらと思っています。


🪶まとめ

思春期は心も体も急に大きくなる時期。
できないことに目を向けるより、工夫や理解で「できた」に変えていくことが、親子にとっての希望になる。
そう実感した中学生期でした。

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